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魏志東夷韓f
2010/06/21 17:00『三國志』魏志 韓 Fpart辰韓(新羅)に付いて
辰韓在馬韓之東。辰韓は馬韓之東に在り。 新羅は百済の東側に存在します。
其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。其の耆老世に傳えるに、自ら言う古(いにしえ)之亡人(亡命者)秦の役を避け韓國に來たりて適う、馬韓は其(その)東界の地を之に割き與う。 土地の古老が言うには、彼らの祖先は秦の労役から逃れて韓地に落ち着いた人々で、百済王に土地を分け与えられたのだそうです。
有城柵、其言語不與馬韓同。城柵有り、其言語は馬韓と與同じ不(からず)。 城柵を造り、百済とは別の言語を使って居ます。
名國爲邦、弓爲弧、賊爲寇、行酒爲行觴。國の名は邦と爲し、弓は弧と爲し、賊は寇と爲し、行酒(祝宴で杯を回す事)は行觴と爲す。 国の事は『邦』、弓の事は『孤』、盗賊などは『寇』、宴会で杯を回す事を『行觴』と呼んでいるのです。相呼皆爲徒、有似秦人、非但燕、齊之名物也。相呼ぶに皆を徒と爲す、秦人に似たる有り、但燕に非ず、之也(また)齊の物名にも非ず。 また、お互いに呼び合う時は『徒』を使い、言葉は秦人に似ています。
これは燕人の言葉でも斉人の言葉でも無く、使って居る道具も違います。
名樂浪人爲阿殘。 樂浪人を名づけて阿殘と爲す。 楽浪人の事は『阿殘』と呼んでいます。東方人名我爲阿、謂樂浪人本其殘餘人。東方人は我を名づけて阿(あ)と爲す、樂浪人は本来其の殘餘の人 と謂(い) ふ。 東方の人は自分の事を『阿』と呼んでいますが、楽浪人の事を阿残と呼ぶのは、楽浪人の事を東方人の残りだと考えているからです。今有名之爲秦韓者。今有る之(これ)を名づけて秦韓の者と爲す。 現在は、秦韓と呼ばれています。始有六國、稍分爲十二國。始め六國有り、稍(ようやく)分れ十二國と爲る。 最初は六国でしたが次第に分裂して、現在は十二ヶ国になっています。
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