『唐會要』日本國part
『唐會要』日本國part | |
卷一百・日本國 | |
日本、倭國之別種。 | 日本、倭國之別種。 |
日本は倭国の別種です。 | |
以其國在日邊、故以日本國爲名。 | 其國は日の邊(辺)に在るを以て、故に以て日本國と名を爲す。 |
日の辺に有る国で有る事を理由に、日本国と名乗っています。 | |
或以倭國自惡其名不雅、改爲日本。 | 或いは倭國自ら其の名雅不(雅に非ず)を以て惡(にく)み、日本と改めて爲す。 |
『倭』が優雅な呼び方では無い事を嫌い、『日本』と改めたのだと自ら言ったそうです。 | |
或云「日本舊小國、呑併倭國之地。」 | 或いは云く「日本小國として舊り、倭國之地を併呑せり。」 |
或いは、小国だった日本国が大国の倭国を併合したのだろう、とも伝えられています。 ここいらの書き方は、今まで子分扱いしてた連中が突然同格になったから、何やら面子を保つ為の一文が必要だったためだろうと思います。 中華さん的に(^^v | |
其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。 | 其人入朝者、多くは自矜大にして、不實な對を以て、故に中國は疑焉せり。 |
来朝する日本人の多くは自惚れが強く、不誠実だったので、中国は疑っていました。 高表仁の件や、小野妹子が隋の返書を紛失(破棄?)した件かな? 新羅との戦闘をしつこく要求して来るから、無視せざるを得なかったんじゃないか?(笑) 私の想像だけど・・・ | |
長安三年、遣其大臣朝臣眞人來朝、貢方物。 | 長安三年、其の大臣【朝臣眞人】を遣わせ來朝し、方物を貢ぐ。 |
長安三年、日本は朝臣真人なる大臣を遣わして朝貢に来ました。 | |
朝臣眞人者、猶中國戸部尚書。 | 朝臣眞人なる者、猶(なお)中國の戸部尚書。 |
朝臣真人なる者は、中国の戸部尚書と同じです。 | |
冠進徳冠、其頂爲花、分而四散、身服紫袍、以帛爲腰帶。 | 冠は進徳冠、其頂に花を爲し、而(しこうして)分れ四散す、紫服に身を袍み、帛を以て腰帶と爲す。 |
冠の形状は、頂に枝分かれした花の飾りが付いている進徳冠で、紫の着物を身に纏い、腰帯には錦を使って居ました。 | |
好讀經史、解屬文、容止閑雅可人。 | 經史讀むを好み、屬文を解す、容止閑雅なる人可(べし)。 |
朝臣真人は歴史書を好み、物静かで優雅な人でした。 私によく似ている。 ひょっとして御先祖様か?(^^;(^^; ウチは**和尚に到るまで、三百数十年以前の家系が不明なんだが。。。 | |
宴之麟徳殿、授司膳卿而還。 | 麟徳殿之宴にて、司膳卿を授け而(しこうして)還す。 |
麟徳殿で歓迎の宴を開催し、周建卿の位を授けて帰らせました。 | |
開元初、又遣使來朝、因請士授經、詔四門助教趙元黙就鴻臚教之、乃遣元黙闊幅布、以爲束脩之禮、題云「白龜元年調布」。 | 開元初、又遣いを使わせて來朝す、因て士(儒学者)に經を授けられんことを請う、詔によって四門助教・趙元黙を鴻臚(殿?)に就け之に教わせる、乃ち元黙に闊幅布を遣わし、以て束脩之禮(礼)と爲す、題して「白龜元年調布」と云う。 |
開元の初め、また日本から使いが送られて来ました。 今度は儒学の経典を欲しがったので、四門学派の助教授・趙元黙を鴻臚殿に呼び寄せて教授させる事にしました。 尚、趙元黙には闊幅布が謝礼として与えられました。 これは「白亀元年調布」と呼ばれています。 | |
人亦疑其僞爲題。 | 人亦(また)其僞なるを疑いて題と爲す。 |
人はその真偽を疑ったので、名付けたのです。 この行の意味不明。 原本に落丁が有るのだろうか? | |
所得錫賚、盡市史籍、泛海而還。 | 錫賚を得る所(に)、盡(ただ)市にて史籍を求め、海に泛(浮かび)而(しかし)して還る。 |
得た金銭で歴史書を買い漁り、海に浮かんで帰りました。 誰が? 趙元黙? それとも日本の人たち? 主語が無いので判りません。^^; | |
其偏使朝臣仲滿、慕中國之風、因留不去、改姓名爲朝衡、歴仕左補闕、終右常侍,安南都護。 | 其偏使(その副使)朝臣仲滿(阿倍仲麻呂)、中國之風を慕い、因て留り去不(去らず)、姓名改め朝衡と爲し、左補闕を歴仕(任)し、右常侍,安南都護に終る。 |
副朝貢使・阿倍仲麻呂は中国の気風が気に入った 為に帰国せず、姓名も「朝衝」と改め、左補闕を歴任した後、左常侍となってベトナム総督にまで出世したのです。 こちら側の記録では、中麻呂の帰国は許されなかった事になってるが・・・ 本当の所は中麻呂さんに訊かなきゃ判んないよな。(笑) | |
今まで読んで来た『唐会要』の流れをまとめると、大体こんな感じだと思います。 | |
これは私の独自の解釈で有り、公式の物では有りません。 出任せ半分です ^^; | |
適当解釈:SyuwKen^^ |
『唐會要』哥羅舎分國part
『唐會要』哥羅舎分國part | |
卷一百・哥羅舎分國 | |
哥羅舎分在南海之南、接墮和羅國。 | 哥羅舎分は南海之南に在り、墮和羅國に接す。 |
カラシャブンは南海の更に南、ダワラ国の隣に在ります。 | |
其王名蒲越摩伽。 | 其王の名は蒲越摩伽。 |
王様の名前はホエマキャ。 | |
精兵二萬人。 | 精兵二萬人。 |
二万の精鋭を擁する軍事強国です。 | |
其使以顯慶五年發本國、至龍朔二年五月到京。 | 其使顯慶五年を以て本國を發ち、龍朔二年五月に至って京に到る。 |
その使いは顯慶五年(660年)に本国を出発し、龍朔二年(662年)五月に、ようやく北京に辿り着きました。 | |
日本に関係有るのかと思って訳してみたが、全然関係無さそうな・・・ なんで日本や蝦夷と同じ巻に入ってるんだろうか? なにやら政治的意図が見え隠れしてるぞ。(笑) | |
参考 タイ・王国時代の軍隊のレリーフ | |
哥羅舎分國に関する記述は、これだけです。 現代語訳は出任せ半分です ^^; | |
適当解釈:SyuwKen^^ |
『唐會要』蝦夷國part
『唐會要』蝦夷國part | |
卷一百・蝦夷國 | |
蝦夷海島中小國也。 | 蝦夷海島の中の小國也。 |
蝦夷は海の中の小国です。 | |
其使至鬚長四尺。 | 其使鬚長きこと四尺に至る。 |
その使者の髭の長さは1メートル20センチも有りました。 | |
尤善弓箭、插於首、令人戴瓢而立、數十歩射之無不中者。 | 弓箭尤(もっとも)善く、首に於いて插す、令人瓢を戴せ而(しこうして)立ち、數十歩の場所から之(これ)を射るに、中不(あたらぬ)者無し。 |
首の後に挿している弓の腕前は、ヒョウタンを載せて立たせた人から数十歩離れ、そこから射抜けない者が居ないほどです。 瓢箪を射抜くのは難しいが、人を射抜くのは簡単・・・サテ、どちらを射抜いた?^^; | |
顯慶四年十月隨倭國使至入朝。 | 顯慶四年十月倭國使に隨し入朝に至る。 |
顯慶四年十月、倭国の使いに伴われて入朝して来ました。 唐と対等の存在で有る事をアピールする為、日本にも属国が有る事を発表したのかな? その辺を唐が敢えて無視し、蝦夷が独自に朝貢に来た風に書いてる気がする。 | |
参考・アイヌ族の勇士 写真を貼った方がイメージし易いな・・・ (-"-) | |
蝦夷國に関する記述は、これだけです。 ( )内赤字は私の独自の解釈で有り、公式の物では有りません。 現代語訳は出任せ半分です ^^; | |
適当解釈:SyuwKen^^ |
『唐會要』倭國part
『唐會要』倭國part | |
『唐会要』には、倭國、蝦夷國、哥羅舎分國、そして日本國が紹介されているので、それぞれ単独のpartとして解釈して行きます。 本日は卷九十九倭國。 | |
倭國。 古倭奴國也。 | 倭國。 古の倭奴國也。 |
倭国とは、倭の奴国と呼ばれていた国の事です。 | |
在新羅東南、居大海之中。 | 新羅東南に在り、大海之中に居る。 |
新羅の東南、日本海の果てに有ります。 | |
世與中國通。 | 世與中國に通ずる。 |
代々中国とお付き合いして来ました。 | |
其王姓阿毎氏。 | 其王姓は阿毎氏。 |
天(あま)氏が天皇を務めて居ます。 | |
設官十二等。 | 十二等の官を設く。 |
官位十二階の制度が敷かれています。 | |
俗有文字。敬佛法。 | 俗に文字有り。佛法を敬う。 |
庶民でも読み書きが出来るほど素養が高く、仏教を信仰して居ます。 | |
椎髻、無冠帶。 | 椎髻、冠帶無し。 |
頭髪はミズラで、冠を被る習慣は有りません。 | |
隋煬帝賜之衣冠。今以錦綵爲冠飾。 | 隋・煬帝之衣冠を賜わり。以て今錦綵を冠飾と爲す。 |
隋の煬帝に服や冠を賜わってから、錦の飾りを施した冠を使う様になりました。 | |
衣服之制、頗類新羅。 | 衣服之制、新羅に頗類す。 |
服装は新羅に良く似ています。 三国志魏志東夷韓国で解釈した弁辰にも【男女近倭】と書かれてましたね。 | |
腰佩金花、長八寸、左右各數枚、以明貴賤等級。 | 腰に金花の佩(おびだま)、長八寸、左右各に數枚、以て貴賤・等級を明らかにす。 |
腰に金の象嵌を施した帯玉を帯びて居ります。 長さ30㎝ほどの帯玉の豪華さや数で、貴賎・等級を見分ける事が出来ます。 | |
貞觀十五年十一月使至。 | 貞觀十五年十一月使い至る。 |
貞観15年の11月に朝貢使が来ました。 | |
太宗矜其路遠、遣高表仁持節撫之。 | 太宗其路遠きを矜(あわれ)み、高表仁を持て節撫之遣とす。 |
倭国に興味を持った太宗は、高表仁を送り込んで調査させようとしました。 | |
表仁浮海數月方至。 | 表仁・海に浮ぶこと數月にして方至る。 |
高表仁は数か月の航海を経て、ようやく倭に辿り着きました。 | |
【自云路經地獄之門。親見其上氣色蓊鬱。又聞呼叫鎚鍛之聲。甚可畏懼也。】 | 【自ら地獄之門を路經せりと云えり。其上を親見するに氣色は蓊鬱。又、呼叫鎚鍛之聲を聞く。甚(はなはだ)しく畏懼(おそれ)るる可(べき)也。】 |
道中、地獄の門を目撃した高表仁は、 『天は陰鬱な色に染まり、阿鼻叫喚の叫びが轟き渡り、これ以上無いほど恐ろしい場所でした。』と伝えています。 たまたま阿蘇山が噴火してたのか、高表仁が大法螺吹いたのか、不明。 | |
表仁無綏遠之才、與王爭禮、不宣朝命而還。由是復絶。 | 表仁綏遠之才無く、王に與い爭禮し、朝命を宣(せん)不(せず)而(しこうして)して還る。是に由りて復たび絶えり。 |
高表仁は交渉力が無かったので天皇陛下と諍いを起こし、朝命を伝える事無く帰国しました。 そして、これが原因で国交が断絶しました。 思うに、諍いの原因は『朝命』だったのでは無いだろうか? 太宗の要求に天皇陛下が難色を示した為、「親書を渡しました」と言えなかったのでは? | |
永徽五年十二月、遣使獻琥珀瑪瑙。 | 永徽五年十二月、遣い使わせ琥珀瑪瑙を獻ず。 |
永黴5年12月、使いが琥珀やメノウを献上に来ました。 | |
琥珀大如斗、瑪瑙大如五升器。 | 琥珀大なること斗の如く、瑪瑙大なること五升器の如し。 |
琥珀の大きさは一斗升ぐらいで、メノウの大きさは五升ぐらいでした。 | |
高宗降書慰撫之仍云 | 高宗、書を降じ、慰撫之仍(しきり)に云うる。 |
高宗は天皇陛下に対して執拗な要求を行いました。 | |
「王國與新羅接近。新羅素爲高麗,百濟所侵。若有危急、王宜遣兵救之。」 | 「王國は新羅に與(相)い接すこと近し。 新羅素(もと)は高麗爲(た)り,百濟所(領)を侵す。 若(しかし)て危急有り、王は宜しく兵を遣し之を救うべし。」 |
「倭国は新羅のすぐ傍に在りますね。 新羅の本性は高麗で、百済を侵略して居ます。 天皇陛下は急いで救援軍を差し向けて下さい。 事は急を要します。」 | |
倭國東海嶼中野人、有耶古,波耶,多尼三國、皆附庸於倭。 | 倭國の東海嶼中の野人、耶古(やこ),波耶(はや・隼人族?),多尼(たに)三國有り、皆倭に於(お)ける附庸なり。 |
倭国周辺の島々には、ヤコ、ハヤ、タニの三国が有り、これら総てが倭の属国です。 | |
北限大海、西北接百濟、正北抵新羅、南與越州相接。 | 北限は大海、西北は百濟に接し、正北は新羅に抵し、南は越州に與相接す。 |
日本海を北限とし、西北では百済に接し、真北は新羅に阻まれ、南はベトナムに隣接しています。 百済や越(ベトナム)に対しては「接」で、新羅に対しては「抵」の字を使うか・・・ 太宗は、よっぽど日本と新羅を対立させたかったと見える。(笑) | |
頗有絲緜、出瑪瑙。有黄白二色。其琥珀好者、云海中湧出。 | 絲緜頗(すこぶ)る有り、瑪瑙を出だし。黄白二色有る。其琥珀好者(物)にして、海中湧出すると云ふ。 |
綿糸が非常に沢山採れ、黄白二色のメノウを産出しています。 琥珀は極上で、海中に湧き出すほど多いと言われています。 オメーが勝手に言ってるだけだろ。(笑) 琥珀なんて、そうそう採れるモンじゃないよ。 | |
咸亨元年三月、遣使賀平高麗。爾後継來朝貢。 | 咸亨元年三月、賀平高麗の使い遣わし。爾(その)後朝貢継來す。 |
咸亨元年三月、高麗平定の祝賀の使いが来朝し、その後暫く朝貢が続きました。 | |
則天時、自言「其國近日所出、故號日本國。」 | 則天時、自ら言うに「其國は日出る所に近く、故に日本國と號す。」 |
則天の時に 『我が国は日出ずる所に近く、それを以て日本国と号す』 と宣言しました。 則天時とは、則天武后の治世の事かな? | |
蓋惡其名不雅而改之。 | 蓋(けだし)其名は雅(が)に不(あらず)を惡(にく)み、而(しこうして)之を改める。 |
『倭』の号を嫌い、優雅な名前に変更したのです。 | |
大歴十二年、遣大使朝楫寧,副使總達來朝貢。 | 大歴十二年、大使朝楫寧,副使總達を遣わせ朝貢に來る。 |
大歴十二年、朝楫寧を大使、総達を副使とした朝貢使が来朝しました。 | |
開成四年正月、遣使薜原朝常嗣等來朝貢。 | 開成四年正月、薜原朝常嗣等の遣い使わせ朝貢に來る。 |
開成四年正月、薜原、朝常嗣等が朝貢に来ました。 | |
( )内赤字は私の独自の解釈で有り、公式の物では有りません。 現代語訳は出任せ半分です ^^; | |
倭人(想像図) | |
則天武后(623~705): 唐王朝太宗王の妃の一人となるが疎まれ、その後宮で王子に取り入り、後に高宗王(元王子)の后となる。 最後は王位を簒奪し、武周朝の初代皇帝となった。 中国史上唯一の女帝にして、中国三大悪女の筆頭。 | |
次回、『唐會要』巻一百から蝦夷國。 以後の段が非常に短いので、哥羅舎分國・日本國と、毎日更新予定です。 が、それまで暫し休憩。。。(-"-) 次回蝦夷國は28日更新予定。 尚、原文は討論系BBSの支援サイトALEXの寓居さんです。 適当解釈:SyuwKen^^ |